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こんだけ兄弟いて全員自然死じゃないという恐怖。なおさらにひどい父義朝世代。
悪源太、範頼、今若、乙若、牛若は知ってたけど、それ以外にこんなにたくさん兄弟がいたとは。びっくりした。しかも全員最後が…というのも。
兄弟がそんなに多いとは知りませんでした。とても勉強になりました。次回も楽しみにしています。
「鎌倉殿の十三人」に至るまでの歴史も相当面白いんですね。ここをふまえて見るとさらに面白く見れそうです。
大変!勉強になりました。ありがとう御座います。色々とdeepな解説嬉しく思います。今後も期待しています。
全成のお墓が沼津市にありますが、、お寺も見つけにくく、そして小さなお墓でひっそりと鎮座してました。
お話がすごくわかりやすくて、またのアップたのしみにしています。
ドラマの阿野全成の言葉が!当たってるぅぅぅって…びっくりでした😭佐殿も弟の言う事聞いていたら、よかったのに!一日…遅らせたばかりに!
結局色恋のためだったのも許せないですよね😱全成さんのあの顔。あんなにショックを受けてたのに、亀に会うためって、酷いよ(⸝⸝o̴̶̷᷄ ·̭ o̴̶̷̥᷅⸝⸝)
すごくわかりやすい解説で勉強になりました。これからも頑張って
とてもわかりやすくて、歴史が好きになります。ありがとうございました😊
義経の無邪気なサイコパスっぷりにビックリしました😅
有難うございます!
分りやすい解説ありがとうございます🙇
全成はアヤしいし義経はぶっ飛んでる。義円と範頼もどんなキャラになってるか楽しみ
「草燃える」のときは一番 常識人だったのですが
兄弟全員、普通に穏やかに死んでないですね。八男義円に絡んでその息子から愛知県の元になる愛智氏が生まれたと聞いたことがります。
戦国時代なんて、血の繋がりがあっても、いつ裏切られるかわからん。男も女も生きづらい世の中ですね。現代に生を受けて、ありがたいと思います。
義経は、九男なので、「九郎」と呼ばれるのです。第7話のラストで秀衡が呼んでましたね。頼朝も初対面で「九郎か」と呼ぶでしょうかね。「武蔵坊弁慶」の文太さんや、タッキー「義経」の貴一さんがそうだったように。
3月13日の放送で、義円が最後にちらっと出てきましたので、こちらでお尋ねしたいと思った事が。この回では頼朝ら兄弟での思い出話からも、義円は幼くして聡明で勉強家であったことが伺え、頼朝を前にした物言いや、つぐみをそっと手に包みこむような振る舞いなどからも、教養学識もあり慈悲深く誠実そうな人柄の人物に見えました。生来の性質に加えてきっとこれまで寺で暮らす中で身に着けてきた事もありそうだなと思いました。そこでハッとしたのですが、もしや奥州の御館は義経をただ可愛がり才能を面白がるだけで、短所を改めさせる事もなく敢えて人格を未成熟なまま奔放に育てさせたのでは・・・という恐ろしい疑惑が浮かんだのです。(源氏平氏双方からの手紙を火にくべるような人ですし・・・)それは人としてやっていく中でいずれ周囲との軋轢を生み、諍いの火種になり得る、わかっていてそうした御館は実はとても恐ろしい人なのではないか、と・・・(そしてもしそうなら三谷さんの考えも怖い!)私は史実を知らないのですが、これって考えすぎでしょうか?
御館が恐い人なのは事実です。義経を担いで自身が幕府を作ろうと考えていた節もあるので、そのとき操りやすいようにっていう可能性はありますね~~。
いつか、源義朝の妻達や、義経の妻達も、解説して欲しいです!特に常盤御前は、子供のため平清盛の側室になった、絶世の美女ですから、興味あります!
徳川将軍家が直轄領を持って、旗本八万騎と言われる直属軍備を持っていたので、他の大名を圧倒することができた。源氏の棟梁も弟や一族は領土を広げたいと思って、(現代の不動産物件の相続争いに通じる。鎌倉時代の始めには日本中で相続争いがあった。家康が絶対的な長子単独相続に決めて、弟は養子の口がなかったら飼い殺しだった。)領土には制限があるので源氏は揉めたが太政官の官位は中納言がいたら権中納言に就任したらいいので平家も一門の結束が大事だった。
次男はトモナガだったような官位も高くて嫡男扱いだったですよね。
そうなんです。間違えました。すみませぬ。
頼朝の弟と言えば範頼と義経のイメージやったんやけど他にもいたんですね
義経、同母の義円さんを陥れたのか…。でも義円のキャラクターはドラマでは清々しかったけど、癖のある人だったんですね。
次男は頼長ではなく朝長(ともなが)です。美濃大垣青墓で平治の乱で受けた矢傷がもとで亡くなりました。
ご指摘ありがとうございます。名前、完全に間違ってました。
史実だから仕方ないけど、行家さんやっぱり今回も情けないんですね。私の生まれ故郷の人なんです。
以前の研究義経に政治的能力が無く、義経が頼朝の承諾なしに検非違使を後白河法皇から貰ったから頼朝と対立したという説が有力でした。しかし最近の研究では義経には政治的センスがあり、後白河法皇と義経が仲良くなりすぎて、尚且つ義経は武将としての才能があったので頼朝が謀反を恐れたという説が有力となっています。頼朝だけでなく大江広元等も義経排除に動いたと言われています。
頼朝の同母姉妹に坊門姫がいますよね。坊門姫が亡くなった時に頼朝は深く嘆き悲しんだそうです。(しかも亡くなった原因が高齢出産のためというのがせつないです)
こんなに何人もの腹違いの兄弟がいてお互いに会う事もなく成長する中で、どうして本当に兄弟関係であるとわかるのかしら?DNA鑑定も無い時代、母が遊女では父親が誰だがも分からないのでは?と思ってしまいました。
腹違いの兄弟というのは競争相手であって家族ではありません。他人の方がまだ気楽です。血縁などというものはあてになりません。人はまず損得利害で動きます。自分の身の安全が保障された後に他人や親せきのことを考えるものです。
父義朝が認知して証になるものを与えている、とかでしょうね。そしてどこに弟がいるか、とかはお互いある程度の情報は知っていて、ということです。ドラマでも、頼朝と義経の対面では、それ以前に頼朝は九郎義経が奥州の藤原秀衡の元に居ることは知っていて、義経が来ても半信半疑だったが、秀衡からの書状を見て確信に変わった、という描かれ方をしていました。
頼朝が三男で下に弟が6人いることは知っていましたが、母親たちのことは知らなかったので大変、参考になりました。もし、頼朝の妹たちの解説ができればおねがいします。
結局誰も生き残れ無かった。頼朝の非情な性格は血を絶やす事になるんだな😎
政子が悪いと思います。血のスペックは、要りますよ。お江の育て方のせいで忠長が兄と同格と思い込み切腹。そして秀忠系は、7代で途絶えた。八重の子供を殺した伊東祐親など頼朝は、側室を置くと切れるおかしな嫁です。京では、当たり前です。清盛にも居ましたし。頼朝ぱぱの義朝にも4人は、確認できますし。
居合いの祖父に影響されて、いやいや半ば強制的に剣道を習う事を強いられた頃、使い古した木刀を集められたのですが、定かではない事ですが野間大坊に行った気がしています。【首洗い】の用水路みたいな所へも行った気もしています。文武両道を極めていたら、今頃は警察官だったろうと思っていますが、その祖父も居合いの最中に左足を自ら斬ってから二週間の入院から一年後に他界しました。その祖父の言葉は『芸事に秀でれば遊女もかつての面影を残す。ばいたと言うな、芸子と言うな。』そういうニュアンスであった。高橋や榊原の姓持つ方々はどの様に聞いたのであろうか?
結局、8人まで畳の上で死んでいない…(^^; 範頼については死に際がはっきりしないし、頼朝すら「吾妻鏡」には臨終の記載がないらしいですので、9人全員ともまともな死に方ではないかもしれませんね。また父・義朝の兄弟も大半が保元の乱で殺される(為朝のみ流刑で、その後流刑地で戦死)。本動画に登場の義賢と行家もご説明の通り殺されましたしね。考えてみれば河内源氏って義家のあと、義親から実朝まで皆、ろくな亡くなり方をしていないんですよね💦(そーいえば広常役の佐藤浩市氏って、「炎立つ」で義家役をやっていらっしゃいましたね(^^) )なお阿野全成は、後醍醐帝に愛された阿野廉子のご先祖とか(ただし男系ではなく、娘の子孫ですが…)!
次男は朝長(ともなが)のはずです。この朝長の子孫と呼ばれる人たちは苗字で朝長氏を名乗っております。
ご指摘の通り間違っております。すみません。
久方ぶりに、NHKを見ています。我が家の屋号は、(源)で源氏の落ち武者だそうです?身延山から富士川の上流、支流の早川です。
歴史教科書には 頼朝義経しか 書かれて いない。脚注や 自分で 調べる 高校生しか 知らない。頼朝死因不明 や 異母兄弟の事鎌倉殿 13 人 で 知りました。史実に基づく解説 この channel で 学びます。
義経は後白河法皇にいいように利用されたんでしょうかね?戦上手だったから、うまくいけば鎌倉幕府侍所所司にもなったかもしれないなと思いました
私のひいおばあさんは義経の家臣片岡八郎の子孫と伝えられていますー先祖代々義経拝領の鎧を伝えている様です。私はみたことがありませんが岡山の旧家でした
範頼は、義経の次に知名度が高い「頼朝の弟」ですね。ドラマや書籍ではいい人キャラが多少盛って描かれている感はありますが、頼朝と義経のつなぎ役として地味ながらも手腕を発揮しているように感じます。頼朝の横で助言をしたり、戦いの現場に出向いたりして、現代に当て嵌めれば、会社組織の中での「上司に忠実で、使い勝手が良い潤滑油的な社員」といったところでしょうか。義経の陰に隠れていますが、平家打倒の功労者ですね。
新宮十郎行家のお話も出て嬉しい‼️…疫病神扱いだけど( ;∀;)
すみませんww
@@kashimashi_rekishi_ch いつも楽しく勉強させていただいております(*´ω`*)
遊女って、今風にいえば何でしょうか?
次男は頼長ではなく朝長ではないのですか?義朝の朝をもらっていると思います。
ともなが、でしたか
頼長は悪左府藤原頼長ですよね。
頼長お好きなもんだからww源氏嫡流というのは歴史からくる結果論ではないのですか?源家とはどうお考えでしょうか
す、すみません(汗)
頼長でなくて朝長ではないですか?
わ~、ほんとだ。ご指摘ありがとうございます。
前の動画にもコメントしましたがruclips.net/video/QFIvGCH_7lc/видео.htmlこの動画を見てたので放送の義経に関しては自分は納得してました。悲劇的な最後だったから後の時代にによく書かれてるけど、実際は嫌われ者で人としてもだめだった感じだろうし。さすが、三谷幸喜!個人的には義経のリアルはあんな感じだったんじゃないかと思います
お弟全滅じゃん
きりゅう先生のお話では、頼朝の兄弟で畳の上で平穏に死んだ人はいないのですね。『鎌倉殿』を地でいくエピソードですね。他方、義経は三谷流のトリッキーな役柄でした。平泉のシーンで超感動していた、きりゅう先生はサイコな義経をどのように評価されているのかな?
二男の名前は、頼長ですか?朝長ではないでしょうか?
朝長です。がっつり間違ってます。ご指摘ありがとうございます。
高評価
義経が滅ぼされるきっかけをまとめると頼朝より人気が高くなり、命令を無視して戦を実行したこと(鵯越の逆落としは義経の独断とも言われていますし、三種の神器が全て揃えることができませんでした。おまけに安徳天皇を結果的に帰らぬ人にしてしまいました。)勝手に後白河上皇から検非違使という冠位(今で言う警視総監のようなもの)を貰ったこと前述した複数の事柄から鎌倉武士団の結束を弱めたことそして、最終的に源氏による支配体制に反することになりました。義経が可哀想だとよく言われるようですが、それにしても頼朝は言い掛かりを付けすぎじゃないでしょうか。
甲斐源氏の武田信義や上総広常と感覚が同じで、頼朝の弟や同盟者とゆう感覚が、頼朝からすると全て御家人家臣扱いが軋轢を生んでしまう。
義朝の次男は朝長ではないのですか。
義円って還俗してたの?じゃあ「ぎえん」って読むのに諱なの?
おそらく、今回の大河に出演予定はないと思いますが・・足利氏の嫡男も、義清ではなく義兼になった理由ですね。義兼の母は熱田神宮大宮司の孫娘=頼朝の母の姪、かつ源義康(義兼の父)と婚姻する時は大宮司の養女となっているので、源義朝と義康は義兄弟で保元の乱で活躍して昇殿をゆるされてますが、なぜか義康と義兼親子は大河ドラマでまともなキャスティングがされず冷遇されてますねぇ。足利義清も登場したことはないし、足利氏にふれるのは政治的にまずい理由があるのか?と思ってしまうのですが・・
足利尊氏が、長らく逆臣扱いだったから? ですかね?
新田義重は、後醍醐天皇の南朝方の子孫だから良いのかな?
次男のお母さんのお兄さんなら漢字は伯父さんですよ叔父さんはお母さんの弟の漢字です
義朝の次男は朝長では?
ご指摘の通り、間違いです。申し訳ありませんでした。
義朝もあと継げないから関東で暴れまわったクチですか?次男の帯刀先生のほうがエラそう。
平家は兄弟仲良く栄えてたのに😅
次男は朝長じゃなかった❓️
朝長です! ご指摘ありがとうございます。
ともながですね。(^^)
すみません。朝長です。
平治の乱が終わった時点で清盛にそんなに力があったのですか?よくドラマ等では平治の乱後、頼朝をどうするかで清盛は主導的立場になっていますが。実際、どの程度の立ち位置だったのでしょうか?平治の乱直前の立ち位置は?乱後の戦後処理は朝廷のどの部署で行われたのでしょうか?その時のメンバーは?それにドラマでは平治の乱は清盛勢と義朝勢の一騎討ちのように描かれていますが、実際はどうだったのでしょうか?まさか清盛、義朝共に、その他大勢の中の一人ということはないでしょうが。
義経が、八男(なのに九郎義経,これは叔父さんに、鎮西八郎為朝が居たから。)
『義経記』ですね。
椿説弓張月…かも。W
清和源氏の初代となる経基王(源経基)から数えて九代目だから…、という理由で九郎にしたとする歴史小説を読んだことがあります。まあ昔のことだから諸説紛々ですが、クロウ(苦労)人であったことだけは間違いのない事実で…(^^;
@@垣内成夫 さんへ。馬◎楽師匠「おーい、山田くん、垣内成夫さんに、(座布団)一枚差し上げなさい」そう言えば、平家の祖先の「桓武天皇」と源氏の「清和天皇」、清和天皇がすぐ後ですよね、(血縁が有るかどうかまでは、覚えてません、申し訳ない)
突っ込みをいただき、ごっつぁんです(^^;
朝長やないですか?頼長やなくて
間違っております(平伏)
義経が戦の天才⁉️いやいや当時の戦の作法を無視した卑怯者ですよ🥶
男が9人、女は何人?ゼロではないでしょう。
頼朝の同母妹は、また別の機会に紹介します💖
義経が、「兎」ごときで人殺しの演出 これは要らないのでは?(=゚ω゚=) 正義のイメージが残念 三谷幸喜は何を狙っているのでしょうか?(>.
船の漕ぎ手を弓で撃ったりかなり卑怯な人だからでは?
義経のイメージは卑怯者のイメージしかないです。それを恥じた頼朝が嫌気を感じてころさせた。って説も有るからね。
🌃🍴🌃🍴🌃🍴やゃ
頼朝の弟は義経以外の影が薄い兄でも義平が少し目立つくらい
こんだけ兄弟いて全員自然死じゃないという恐怖。なおさらにひどい父義朝世代。
悪源太、範頼、今若、乙若、牛若は知ってたけど、それ以外にこんなにたくさん兄弟がいたとは。びっくりした。
しかも全員最後が…というのも。
兄弟がそんなに多いとは知りませんでした。とても勉強になりました。次回も楽しみにしています。
「鎌倉殿の十三人」に至るまでの歴史も相当面白いんですね。ここをふまえて見るとさらに面白く見れそうです。
大変!勉強になりました。ありがとう御座います。色々とdeepな解説嬉しく思います。今後も期待しています。
全成のお墓が沼津市にありますが、、お寺も見つけにくく、そして小さなお墓でひっそりと鎮座してました。
お話がすごくわかりやすくて、またのアップたのしみにしています。
ドラマの阿野全成の言葉が!
当たってるぅぅぅって…びっくりでした😭佐殿も弟の言う事聞いていたら、よかったのに!一日…遅らせたばかりに!
結局色恋のためだったのも許せないですよね😱
全成さんのあの顔。あんなにショックを受けてたのに、亀に会うためって、酷いよ(⸝⸝o̴̶̷᷄ ·̭ o̴̶̷̥᷅⸝⸝)
すごくわかりやすい解説で勉強になりました。これからも頑張って
とてもわかりやすくて、歴史が好きになります。
ありがとうございました😊
義経の無邪気なサイコパスっぷりにビックリしました😅
有難うございます!
分りやすい解説ありがとうございます🙇
全成はアヤしいし義経はぶっ飛んでる。義円と範頼もどんなキャラになってるか楽しみ
「草燃える」のときは一番 常識人だったのですが
兄弟全員、普通に穏やかに死んでないですね。八男義円に絡んでその息子から愛知県の元になる愛智氏が生まれたと聞いたことがります。
戦国時代なんて、血の繋がりがあっても、いつ裏切られるかわからん。男も女も生きづらい世の中ですね。
現代に生を受けて、ありがたいと思います。
義経は、九男なので、「九郎」と呼ばれるのです。第7話のラストで秀衡が呼んでましたね。頼朝も初対面で「九郎か」と呼ぶでしょうかね。「武蔵坊弁慶」の文太さんや、タッキー「義経」の貴一さんがそうだったように。
3月13日の放送で、義円が最後にちらっと出てきましたので、こちらでお尋ねしたいと思った事が。
この回では頼朝ら兄弟での思い出話からも、義円は幼くして聡明で勉強家であったことが伺え、頼朝を前にした物言いや、つぐみをそっと手に包みこむような振る舞いなどからも、教養学識もあり慈悲深く誠実そうな人柄の人物に見えました。生来の性質に加えてきっとこれまで寺で暮らす中で身に着けてきた事もありそうだなと思いました。
そこでハッとしたのですが、もしや奥州の御館は義経をただ可愛がり才能を面白がるだけで、短所を改めさせる事もなく敢えて人格を未成熟なまま奔放に育てさせたのでは・・・という恐ろしい疑惑が浮かんだのです。(源氏平氏双方からの手紙を火にくべるような人ですし・・・)それは人としてやっていく中でいずれ周囲との軋轢を生み、諍いの火種になり得る、わかっていてそうした御館は実はとても恐ろしい人なのではないか、と・・・(そしてもしそうなら三谷さんの考えも怖い!)
私は史実を知らないのですが、これって考えすぎでしょうか?
御館が恐い人なのは事実です。義経を担いで自身が幕府を作ろうと考えていた節もあるので、そのとき操りやすいようにっていう可能性はありますね~~。
いつか、源義朝の妻達や、義経の妻達も、解説して欲しいです!
特に常盤御前は、子供のため平清盛の側室になった、絶世の美女ですから、興味あります!
徳川将軍家が直轄領を持って、旗本八万騎と言われる直属軍備を持っていたので、他の大名を圧倒することができた。源氏の棟梁も弟や一族は領土を広げたいと思って、(現代の不動産物件の相続争いに通じる。鎌倉時代の始めには日本中で相続争いがあった。家康が絶対的な長子単独相続に決めて、弟は養子の口がなかったら飼い殺しだった。)領土には制限があるので源氏は揉めたが太政官の官位は中納言がいたら権中納言に就任したらいいので平家も一門の結束が大事だった。
次男はトモナガだったような
官位も高くて嫡男扱いだったですよね。
そうなんです。間違えました。すみませぬ。
頼朝の弟と言えば範頼と義経のイメージやったんやけど他にもいたんですね
義経、同母の義円さんを陥れたのか…。でも義円のキャラクターはドラマでは清々しかったけど、癖のある人だったんですね。
次男は頼長ではなく朝長(ともなが)です。美濃大垣青墓で平治の乱で受けた矢傷がもとで亡くなりました。
ご指摘ありがとうございます。名前、完全に間違ってました。
史実だから仕方ないけど、行家さんやっぱり今回も情けないんですね。
私の生まれ故郷の人なんです。
以前の研究義経に政治的能力が無く、義経が頼朝の承諾なしに検非違使を後白河法皇から貰ったから頼朝と対立したという説が有力でした。
しかし最近の研究では義経には政治的センスがあり、後白河法皇と義経が仲良くなりすぎて、尚且つ義経は武将としての才能があったので頼朝が謀反を恐れたという説が有力となっています。
頼朝だけでなく大江広元等も義経排除に動いたと言われています。
頼朝の同母姉妹に坊門姫がいますよね。坊門姫が亡くなった時に頼朝は深く嘆き悲しんだそうです。(しかも亡くなった原因が高齢出産のためというのがせつないです)
こんなに何人もの腹違いの兄弟がいてお互いに会う事もなく成長する中で、どうして本当に兄弟関係であるとわかるのかしら?DNA鑑定も無い時代、母が遊女では父親が誰だがも分からないのでは?と思ってしまいました。
腹違いの兄弟というのは競争相手であって家族ではありません。他人の方がまだ気楽です。血縁などというものはあてになりません。人はまず損得利害で動きます。自分の身の安全が保障された後に他人や親せきのことを考えるものです。
父義朝が認知して証になるものを与えている、とかでしょうね。
そしてどこに弟がいるか、とかはお互いある程度の情報は知っていて、ということです。
ドラマでも、頼朝と義経の対面では、それ以前に頼朝は九郎義経が奥州の藤原秀衡の元に居ることは知っていて、義経が来ても半信半疑だったが、秀衡からの書状を見て確信に変わった、という描かれ方をしていました。
頼朝が三男で下に弟が6人いることは知っていましたが、母親たちのことは知らなかったので大変、参考になりました。
もし、頼朝の妹たちの解説ができればおねがいします。
結局誰も生き残れ無かった。頼朝の非情な性格は血を絶やす事になるんだな😎
政子が悪いと思います。血のスペックは、要りますよ。
お江の育て方のせいで忠長が兄と同格と思い込み切腹。そして秀忠系は、7代で途絶えた。
八重の子供を殺した伊東祐親など頼朝は、側室を置くと切れるおかしな嫁です。京では、当たり前です。清盛にも居ましたし。頼朝ぱぱの義朝にも4人は、確認できますし。
居合いの祖父に影響されて、いやいや半ば強制的に剣道を習う事を強いられた頃、使い古した木刀を集められたのですが、定かではない事ですが野間大坊に行った気がしています。【首洗い】の用水路みたいな所へも行った気もしています。文武両道を極めていたら、今頃は警察官だったろうと思っていますが、その祖父も居合いの最中に左足を自ら斬ってから二週間の入院から一年後に他界しました。
その祖父の言葉は『芸事に秀でれば遊女もかつての面影を残す。ばいたと言うな、芸子と言うな。』そういうニュアンスであった。高橋や榊原の姓持つ方々はどの様に聞いたのであろうか?
結局、8人まで畳の上で死んでいない…(^^; 範頼については死に際がはっきりしないし、頼朝すら「吾妻鏡」には臨終の記載がないらしいですので、9人全員ともまともな死に方ではないかもしれませんね。
また父・義朝の兄弟も大半が保元の乱で殺される(為朝のみ流刑で、その後流刑地で戦死)。本動画に登場の義賢と行家もご説明の通り殺されましたしね。
考えてみれば河内源氏って義家のあと、義親から実朝まで皆、ろくな亡くなり方をしていないんですよね💦
(そーいえば広常役の佐藤浩市氏って、「炎立つ」で義家役をやっていらっしゃいましたね(^^) )
なお阿野全成は、後醍醐帝に愛された阿野廉子のご先祖とか(ただし男系ではなく、娘の子孫ですが…)!
次男は朝長(ともなが)のはずです。この朝長の子孫と呼ばれる人たちは苗字で朝長氏を名乗っております。
ご指摘の通り間違っております。すみません。
久方ぶりに、NHKを見ています。我が家の屋号は、
(源)で源氏の落ち武者だそうです?身延山から富士川の上流、
支流の早川です。
歴史教科書には 頼朝義経しか 書かれて いない。脚注や 自分で 調べる 高校生しか 知らない。
頼朝死因不明 や 異母兄弟の事
鎌倉殿 13 人 で 知りました。
史実に基づく解説 この channel で 学びます。
義経は後白河法皇にいいように利用されたんでしょうかね?戦上手だったから、うまくいけば鎌倉幕府侍所所司にもなったかもしれないなと思いました
私のひいおばあさんは義経の家臣片岡八郎の子孫と伝えられていますー先祖代々義経拝領の鎧を伝えている様です。私はみたことがありませんが岡山の旧家でした
範頼は、義経の次に知名度が高い「頼朝の弟」ですね。ドラマや書籍ではいい人キャラが多少盛って描かれている感はありますが、頼朝と義経のつなぎ役として地味ながらも手腕を発揮しているように感じます。頼朝の横で助言をしたり、戦いの現場に出向いたりして、現代に当て嵌めれば、会社組織の中での「上司に忠実で、使い勝手が良い潤滑油的な社員」といったところでしょうか。義経の陰に隠れていますが、平家打倒の功労者ですね。
新宮十郎行家のお話も出て嬉しい‼️…疫病神扱いだけど( ;∀;)
すみませんww
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遊女って、今風にいえば何でしょうか?
次男は頼長ではなく朝長ではないのですか?義朝の朝をもらっていると思います。
ともなが、でしたか
頼長は悪左府藤原頼長ですよね。
頼長お好きなもんだからww
源氏嫡流というのは歴史からくる結果論ではないのですか?
源家とはどうお考えでしょうか
す、すみません(汗)
頼長でなくて朝長ではないですか?
わ~、ほんとだ。ご指摘ありがとうございます。
前の動画にもコメントしましたが
ruclips.net/video/QFIvGCH_7lc/видео.html
この動画を見てたので放送の義経に関しては自分は納得してました。
悲劇的な最後だったから後の時代にによく書かれてるけど、実際は嫌われ者で人としてもだめだった感じだろうし。
さすが、三谷幸喜!個人的には義経のリアルはあんな感じだったんじゃないかと思います
お弟全滅じゃん
きりゅう先生のお話では、頼朝の兄弟で畳の上で平穏に死んだ人はいないのですね。『鎌倉殿』を地でいくエピソードですね。
他方、義経は三谷流のトリッキーな役柄でした。平泉のシーンで超感動していた、きりゅう先生はサイコな義経をどのように評価されているのかな?
二男の名前は、頼長ですか?
朝長ではないでしょうか?
朝長です。がっつり間違ってます。ご指摘ありがとうございます。
高評価
義経が滅ぼされるきっかけをまとめると
頼朝より人気が高くなり、
命令を無視して戦を実行したこと(鵯越の逆落としは義経の独断とも言われていますし、三種の神器が全て揃えることができませんでした。おまけに安徳天皇を結果的に帰らぬ人にしてしまいました。)
勝手に後白河上皇から検非違使という冠位(今で言う警視総監のようなもの)を貰ったこと
前述した複数の事柄から鎌倉武士団の結束を弱めたこと
そして、最終的に源氏による支配体制に反することになりました。
義経が可哀想だとよく言われるようですが、それにしても頼朝は言い掛かりを付けすぎじゃないでしょうか。
甲斐源氏の武田信義や上総広常と感覚が同じで、頼朝の弟や同盟者とゆう感覚が、頼朝からすると全て御家人家臣扱いが軋轢を生んでしまう。
義朝の次男は朝長ではないのですか。
義円って還俗してたの?
じゃあ「ぎえん」って読むのに諱なの?
おそらく、今回の大河に出演予定はないと思いますが・・
足利氏の嫡男も、義清ではなく義兼になった理由ですね。
義兼の母は熱田神宮大宮司の孫娘=頼朝の母の姪、かつ源義康(義兼の父)と婚姻する時は大宮司の養女となっているので、源義朝と義康は義兄弟で保元の乱で活躍して昇殿をゆるされてますが、なぜか義康と義兼親子は大河ドラマでまともなキャスティングがされず冷遇されてますねぇ。足利義清も登場したことはないし、足利氏にふれるのは政治的にまずい理由があるのか?と思ってしまうのですが・・
足利尊氏が、長らく逆臣扱いだったから? ですかね?
新田義重は、後醍醐天皇の南朝方の子孫だから良いのかな?
次男のお母さんのお兄さんなら
漢字は伯父さんですよ
叔父さんはお母さんの弟の漢字です
義朝の次男は朝長では?
ご指摘の通り、間違いです。申し訳ありませんでした。
義朝もあと継げないから関東で暴れまわったクチですか?
次男の帯刀先生のほうがエラそう。
平家は兄弟仲良く栄えてたのに😅
次男は朝長じゃなかった❓️
朝長です! ご指摘ありがとうございます。
ともながですね。(^^)
すみません。朝長です。
平治の乱が終わった時点で清盛にそんなに力があったのですか?
よくドラマ等では平治の乱後、頼朝をどうするかで清盛は主導的立場になっていますが。
実際、どの程度の立ち位置だったのでしょうか?
平治の乱直前の立ち位置は?
乱後の戦後処理は朝廷のどの部署で行われたのでしょうか?
その時のメンバーは?
それにドラマでは平治の乱は清盛勢と義朝勢の一騎討ちのように描かれていますが、実際はどうだったのでしょうか?
まさか清盛、義朝共に、その他大勢の中の一人ということはないでしょうが。
義経が、八男(なのに九郎義経,これは叔父さんに、鎮西八郎為朝が居たから。)
『義経記』ですね。
椿説弓張月…かも。W
清和源氏の初代となる経基王(源経基)から数えて九代目だから…、という理由で九郎にしたとする歴史小説を読んだことがあります。
まあ昔のことだから諸説紛々ですが、クロウ(苦労)人であったことだけは間違いのない事実で…(^^;
@@垣内成夫 さんへ。
馬◎楽師匠「おーい、山田くん、垣内成夫さんに、(座布団)一枚差し上げなさい」
そう言えば、平家の祖先の「桓武天皇」と源氏の「清和天皇」、清和天皇がすぐ後ですよね、(血縁が有るかどうかまでは、覚えてません、申し訳ない)
突っ込みをいただき、ごっつぁんです(^^;
朝長やないですか?頼長やなくて
間違っております(平伏)
義経が戦の天才⁉️
いやいや当時の戦の作法を無視した卑怯者ですよ🥶
男が9人、女は何人?ゼロではないでしょう。
頼朝の同母妹は、また別の機会に紹介します💖
義経が、「兎」ごときで人殺しの演出 これは要らないのでは?(=゚ω゚=) 正義のイメージが残念 三谷幸喜は何を狙っているのでしょうか?(>.
船の漕ぎ手を弓で撃ったりかなり卑怯な人だからでは?
義経のイメージは卑怯者のイメージしかないです。
それを恥じた頼朝が嫌気を感じてころさせた。って説も有るからね。
🌃🍴🌃🍴🌃🍴やゃ
頼朝の弟は義経以外の影が薄い
兄でも義平が少し目立つくらい